バイクで日本一周:31~33日目

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結構移動したよ。多分次でラストかな。

 

 

2012/05/27

この日は、天塩町~函館~フェリー~青森まで移動。

 

完全に移動日だったなー。 この日だけで多分700キロくらいは運転した気がする。

 

 

函館に着いたのが19時だったんだけど、 北海道を出る前に日本三大夜景らしい函館山を観てから帰ることにしたんだよね。

でも、山頂へはケーブルカーに乗らないと行けないらしいのよ。

でも料金を見たら往復1700くらい。 高いなーどうしようかなあー。

ちらっとケーブルカーに並んでる列の客層を見てみたらまさかの全員カップル。

秒で引き返したよね。男一人で夜景はホラーだわ。

 

 

 

その後は、フェリーに4時間乗って青森に到着。

時間は深夜1時くらい。

寝床を探して峠道をずーっと走ってたら街灯も何もない公園を発見。

ヘッドライト消したらもう自分の手も見えないくらいに真っ暗。

 

ちょっと恐いなーって思いながらもテントを張り終わった。

景色を見に公園の一番先に言ったら夜景がすげーキレイ!

写真撮るの忘れたてしもた。

 

 

そして僕の体が北海道で鍛えられたのか野宿をしても寒さを全然感じなくなった。 おかげでこの日はぐっすり睡眠。

 

この日使ったお金

ガス2098 食費800 おみやげ5000 フェリー5050

 


2012/05/28

青森~盛岡~仙台

この日もほぼ移動日。 まあ湖とかをちょろっと見たり見なかったり。 雷雨で服が限界を迎えた。

 

この日使ったお金

ガス1479 食費1000

 


2012/05/29

仙台~南相馬~福島

公園で早朝に起きて出発! この日は、震災後に一度行ってみたかった南相馬に行くことにした。 この日見た出来事を忘れないためにちょっと長く書くことにしよう。

僕は多分忘れっぽい。

備忘録で書いておく。

未来の僕はこの日のことは絶対に忘れないでほしい。がんばれ、アホな自分。

震災のことを書いたり、被災地の写真が載っているので、そういうのが嫌な人はブラウザバックしてほしい。

 

 

 

東北の地震なんだけど、テレビで見てもいまいち実感がわかなかったんだよね。

同時多発テロを見てるような他人事みたいな感覚だった。

どこか知らない国で起きた出来事みたいな感じで、僕には関係ないと思った。

 

友達の家が跡形もなく津波で流されたことを知った。

他人事ではないんだと思ってきた。

別にボランティアをやりに来たわけじゃないけど、やっぱり生で見ないとわかんないことってあるはずだよな、という思いで見に行くことにした。来るのが遅くなっちゃったなぁ。

 

 

 

昼頃に南相馬に到着。

 

被災地どのくらいで着くんだろう、とバイクを走らせていた。

しかし、何もないな。

ある時、違和感に気付いたし鳥肌が立った。

 

そうか、津波に流されたから何もないのか。

ここにも家があったのか。

たくさんの人が家を建てて住んでたのか。

 

 

 

ああ、震災から一年もたってるから復興したんだなーって思ってたら全然そんなことなかった。

海に近づくにつれて、なぎ倒された電柱や、ひっくり返ってボコボコになった電車とか、ひび割れた道路とかが、視界一面に広がった。

 

うわぁ・・・えぇ?本当に?とずっとブツブツ言ってた。

怖かった。日本じゃないみたいだったよ。

津波の爪痕は全然まだ残ってた。

驚いたのは水の中に家が建ってた事。 そこは普通の住宅街だった、と後から地元の人に聞いた。

 

グッシャグシャに潰れた車の後ろにはチャイルドシ ートが乗ってた。 車には黄色い旗が立っていた。旗は黄色とか赤色が色んな場所に立っていた。旗にはどういう意味があるんだろう。

 

テレビでやってたみたいに防護服を着た作業員とかもいたけど、放射能30キロ圏内に人は全然いなかった。

 

 

そのまま30キロ圏内にある小高という町に。

作業員以外の人は誰も街にいない。

 

上の画像で「絶対この町でまた店開きます!」みたいな看板があってグッときた。 菓詩工房わたなべさん、絶対いくぞー!

 

 

その帰りに、砂利道をしばらく走ってたら後輪がパンク。

 

携帯で修理屋さんを探そうとしても充電が切れてる。

ガソリンは入れ忘れたせいであと20キロも走れない 。 道を聞きたいけど人もいない。 そもそもバイク屋あるのか。

 

 

あれっちょっとピンチだぞこれ・・・。

 

ただチューブタイヤなので無駄に走るとチューブがさらに破損する危険がある。

 

でもじっとしててもしょーがないなって思ったので、なんとなく右折したら奇跡が起きたんだ。

 

 

バイク屋あったー!!!

 

バイク屋って言っても原付とチャリくらいしか置いてないけど、僕にはそのお店が神々しく見えた。

 

でも店の中が真っ暗だ。

 

 

 

 

 

すいませーん!

 

 

 

しばらくノックしながら声を出してたらおばあちゃんが出てきました。

 

 

おばあちゃんはこう言った。

「ごめんなさいね。主人がおととい亡くなって、バイクを直せる人はここにはいないのよ。500メートルくらいまっすぐ行くと駅前にもう1つバイク屋あるからそこで直してもらって。」

 

おばあちゃんにお礼を言って、バイクを押しながら教えてもらった場所に向かう。

 

 

もう1つのバイク屋に着いたらおじさんがいたので、パンク直せますか・・・?って聞いたら、任せろ!と言ってくれた。

 

直してくれてる間に(僕も手伝ってた)その人の家族と一緒に色々な話をしたんだ。

 

「東京この前大きな地震あったでしょ?大丈夫だった ?」

「あっ!八王子ナンバーだ!私ファンキーモンキーベイビーズ好きなのよー!」

とかよく喋ってくれて笑った。

 

 

その中でも震災当時の話を聞いたのは衝撃だった。

下に書いた内容がその人が話してくれたことだよ。


震災があったあの日、 地震がきて、しばらくしたら津波が来た時に「津波だ逃げろ!」って叫び声が飛び交ってて、 背後には津波が迫ってきててあの時は本当に死ぬかと思ったよ。

 

結局一年たっても状況はほとんど何も変わっちゃいない。

30キロ圏内の住民は一時帰宅してもいいことになったんだけど、この前一人のやつが家の中で首吊って死んだよ。さっきケイタ君が行ったバイク屋あるだろ?そこの主人が首吊って死んだよ。死にたくなる気持ちはわかるけどねー。

 

30キロ圏内のやつは手厚い生活保護がでるけど、 俺らは30キロからギリギリ離れてるだけで少ししかもらえない。 同じ生活してるんだけどなー。 だったら放射能を完全に遮る壁でも作ってくれよ。

線路も歩道橋も電車も全部流されちゃったよ。 復興するには最低でも5年から10年はかかるだろうね。


 

とか色々話してくれた。

こんなに時代が進歩してもなかなか上手くいかないんだなー。

 

結局寄付金とかもまだ全部配れてないわけだしね。 だったら僕たちみたいな金も時間もある若いやつが直接行って、 現地で飯食ったり物買ったりするのが一番の支援なんだと思うんだよね。 でもそれって仕事してる人は厳しいしなー。難しいなー。

 

復興はきっとかなり時間がかかるけど、 絶対またこの地で店を再開するって看板をたててたお菓子屋さんには俺が生きてる間に絶対に行きたいって思ったよ。

 

あと原発付近は通行止めで近寄ることもできなかった。

 

っていうかあそこら辺は完全に通行止めになってて 南相馬から水戸に通り抜けできない現状になってた。

 

 

なので今日は結局福島まで引き返して漫画喫茶に泊まってる。

あの景色は忘れないよ本当に! 今日は本当に行ってよかった!

明日は当時キャッチで働いてた時の先輩に会いに千葉に行ってくる!楽しみ!

 

そして多分明後日には東京戻る。 みんな、飲み行こうまじで。 ずっと一人だったから人と話したすぎる!

お土産話いっぱいあるぞー!

 

この日使ったお金

食費1400 ガス1811 修理4950 宿代1500