チャーシューがいらなくなった話
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昨日はマイギターに絵を描いてくれた友星さんが参加している展示会に行ってきました。
当時の写真
今回は骨ギター。かっこいい。
その後は下北沢のライブハウスに遊びいったよー。楽しかった。
12/4に下北沢CAVE BEでTHE AUTOCRATICSとSEVEN STEPで2マンライブをやるので遊びきてね!!
さて、今日はチャーシューの話をします。
僕は小さいころ、親父とよく釣りに行きました。
その帰りに、一緒にラーメンを食べに行ったのですが、親父はいつも自分の分のチャーシューを僕にくれました。
嬉しかったですけど、 いやいや、親父のラーメンの具なんにもなくなっちゃうよ。って言っても、 親父はいつも、いや、いらないから大丈夫。ケイタが食いなって言ってくれました。
このおっさん絶対遠慮してるわー!!とは思いながらも、ありがと、と言いながらチャーシューを美味しくいただいておりました。
この時、ケイタ7歳。
時は流れて20年後。
僕はラーメン屋の中で固まっていた。 運ばれてきたどんぶりの中にチャーシューが山盛りで入っていたのだ。
僕がアレ?って顔してると店主が言った。
お兄さん良い人そうだからサービスね!
やったーー!!! チャーシュー大好き!最高! ありがとうございます!
ご飯食べる時って、配分決めるじゃないですか。
例えば定食とかで、ご飯がこれだけの量があるから、おかずはこのくらいのペースで食べればちょうど良い。って無意識のうちにやってるはずなんですよ。
あらかじめ決められた配分で食べて、最後のひとくちだけオカズをちょっと多めに口に入れるとか、超最高。
でもそれが、追加でトッピングをしたりすると、その方程式は全部通用しないのです。
なので今日は、いつもは最後の方に残すチャーシューをハイペースでぱくぱく食べていきます。
でも食べてる途中に異変に気付きました。
あれ、ちょっと気持ち悪い。
なんならもう食えそうにない…。
そしてその時に気付いたんです。
20年前に親父が言っていた、いらないから大丈夫ってこういうことかって気づいた。
小さいころあんなに好きだったチャーシューが1枚、いや、なんなら一枚の半分くらい食えれば満足できるカラダになってしまっていたようです。
視界の先にある水槽の中で泳いでる金魚を見ながら、なんとか真顔で完食した。
店主にお礼を言ってお店を出た後も、お腹がかなりハードコアだった。
いやー、食べた食べた……。
そこからポケットに手を突っ込みながら5歩くらい歩いた。
吐いた。
直立不動の姿勢で吐いた。
吐き気というアクションを一切起こさずになんか急にゲロ出てきた。
ノドというドアをノックすることもなく、急に全員出てきた。
こんな感じで全部出てきた。
完全にラーメンを食べる前の状態になってしまった。(なんなら気持ち悪くなっただけ)
やっぱり、どんなに好きなもんでもちょっと足りないくらいかな。がちょうど良い感じなんだろうなって感じました。
以上、チャーシューがそれ以降食べられなくなった話でした。